■2002/09/30 (月)
後期開始もそこそこに。昼間は暑くまだまだ残暑がある。
最近、付き合いだして以来、愛に溺れかけている自分を発見した。(–;)
そんな生温い自分に反省し、気合いを入れ直して、後期開始だっ!!(`^`)
■2002/09/30 (月)
後期開始もそこそこに。昼間は暑くまだまだ残暑がある。
最近、付き合いだして以来、愛に溺れかけている自分を発見した。(–;)
そんな生温い自分に反省し、気合いを入れ直して、後期開始だっ!!(`^`)
TatsuruArimura 0 Comments : 2002-09-30 at 1:37 PM
2002/09/29 (日)
今日三原ではじめてボウリングをした。
スコアは3ゲームで99、178、113。浮き沈みが激しかった。
三原のボウリング場は雰囲気は伊丹の南端ロビンボウルにそっくり。
そして相変わらず服がタバコ臭かった。。これさえなければいいんやけど。。
夜には6人で先生からもらった地元産の肉と野菜で焼肉パーティー!
地元産の無農薬野菜で椎茸がうますぎ!!久々の肉もあぶらが程よくのってうまい!!
満足な1日でした。
TatsuruArimura 0 Comments : 2002-09-29 at 1:35 PM
■2002/09/28 (土)
次ぎの月曜から後期が始まるというのに、今日も集中講義で休みがつぶれた。。
この先生がキャパの少ないひとで、せっかち&声がでかすぎ。。
集中講義だと毎日講義する先生が同じなので、もうそろそろお引き取り願えたい。。
TatsuruArimura 0 Comments : 2002-09-28 at 1:33 PM
■2002/09/25 (水)
「華麗(カレー)なる食卓」というマンガを家庭教先の生徒に借りて読んでいる。
筆者はかなりのカレー好きのようで、本場のカレーから和風カレーまで
あらゆるカレーを題材に話が進行する。
いつも好きで作っているカレーのヒントになるので、面白く読めている。
が、話のストーリーにひねりがないのがおしい。かなりありきたりの線を
爆進している感じ。まあ、借りもののマンガをそこまで言うことはないか。
TatsuruArimura 0 Comments : 2002-09-25 at 1:31 PM
On one of my trips to Japan, some friends and I wanted to visit Kamakura. We were in Yokosuka which is only a short trip, by train, to Kamamkura.
I had taken the train from Yokosuka on previous trips to Japan, but at that time, I couldn’t remember how to get to the station. I knew very little Japanese - only what I had learned from books.
I decided to ask for directions, since most people in Yokosuka speak English. I went into the first store, saw people inside, walked up to the counter and asked in English how to get to the train station that goes to Kamakura.
The woman behind the counter shook her head and said, “Eigo ga wakarimasen” (I don’t understand English). So, I thought for a second and tried to ask in Japanese. I thought it best to tell her where my friends and I were trying to go then ask for directions to the station.
So I said “Watashitachi wa Kamakura ni ikimashoo”. The woman turned red, put her hands on her face and said “Nan desu ka!” (What!).
That’s when I realized I had not said, “We’re trying to go to Kamakura” but actually “Let’s go to Kamakura.”
I eventually, explained in broken Japanese what I really meant and she laughed. She gave me directions partly in Japanese and partly in charades.
鎌倉へ行きたいのですが。
日本に旅行した時のことです。数人の友人と鎌倉に行きたくなりました。私達は横須賀にいて、鎌倉へは電車でほんの短い旅でした。
以前、日本に旅行した時、横須賀から電車に乗ったことがあったのですが、その時にどうやって駅へ行ったのか思い出すことができませんでした。少しだけ日本語を知っていたのですが、本で学んだことしか知りませんでした。
たいていの横須賀の人達は英語を話すので、とにかく方角を尋ねることにしました。人がいるのを見かけた最初のお店に入って、カウンターで、鎌倉に行く電車の駅への行き方を英語で尋ねました。
カウンターのむこうにいた女性は首を横に振って、「英語がわかりません」と言いました。それで私はちょっと考えて、今度は日本語で尋ねました。私達は駅にどうやって行けばよいか尋ねようとしていたところでしたので、その女性に話すのがちょうどいいと考えました。
それで私は、「私達は鎌倉に行きましょう。」と言いました。するとその女性は、顔を赤らめ、手を顔に当てて、「何ですか」と言ったのです。
その時、私は、「鎌倉に行きたいんです」と言ったのではなく、「いっしょに鎌倉に行きましょう」と言ってしまったことに気がつきました。
私は、結局、ブロークンの日本語で私の本当に言いたかったことを説明することになりました。彼女は吹き出しました。彼女は半分日本語、半分ジェスチャーで行き方を教えてくれたのでした。
かまくら へ いきたいのですが。
日本 に りょこう した とき の こと です。すうにん の ゆうじん と 鎌倉 に いきたくなりました。わたしたち は 横須賀にいて、鎌倉 へは でんしゃで ほんのみじかい たび でした。
いぜん、日本に りょこうしたとき、横須賀から でんしゃにのったことがあったのですが、そのときに どうやって えきへ いったのか おもいだすことができませんでした。すこしだけ 日本語を しっていたのですが、ほんで まなんだことしかしりませんでした。たいていの 横須賀のひとたちは 英語をはなすので、とにかく ほうがくを たずねることにしました。ひとがいるのをみかけた さいしょのおみせ にはいって、カウンターで、鎌倉にいく でんしゃのえきへの いきかたを英語でたずねました。
カウンターのむこうにいた じょせいは くびをよこにふって、「英語がわかりません」といいました。それで わたしは ちょっと かんがえて、こんどは 日本語で たずねました。わたしたちは えきに どうやっていけばよいか たずねようとしていたところでしたので、そのじょせいに はなすのが ちょうどいいとかんがえました。
それで わたしは、「わたしたちは鎌倉にいきましょう。」といいました。すると そのじょせいは、かおを あからめ、てを かおにあてて、「なんですか」といったのです。
そのとき、わたしは、「鎌倉にいきたいんです」といったのではなく、「いっしょに鎌倉にいきましょう」といってしまったことにきがつきました。
わたしは、けっきょく、ブロークンの日本語で わたしのほんとうに いいたかったことを せつめいすることになりました。かのじょは ふきだしました。かのじょははんぶん日本語、はんぶんジェスチャーでいきかたをおしえてくれたのでした。
NathanJones 0 Comments : 2002-09-25 at 1:58 AM
■2002/09/24 (火)
今日から集中講義という形で学校が始まった。
やはり学生たるものこれが本業です。
久々の4時間連続の講義で、最後の方はダウン。。
徐々に勉強モードにもどさねば。
TatsuruArimura 0 Comments : 2002-09-24 at 1:29 PM
At a payphone
In my junior year of high school, before my boyfriend and I started dating, I called him from an outside pay phone near a theater to invite him to a movie. He’d just gotten back from a basketball game, so he couldn’t come. Since he still had to take a shower, the movie would have already started by the time he was ready. However, we continued talking for over three hours! Finally, his mom told him to invite me over. I had been standing at a pay phone only five minutes away from his house!
11年生の時、ボーイフレンドと交際を始める前のことです。彼を映画に誘おうと、映画館の近くにある公衆電話から電話をしました。
彼はバスケットボールの試合から帰ったところだったので来ることができませんでした。彼はシャワーをあびなければなりませんでしたし、準備をしているうちに映画は始まってしまうからでした。
ところが、それから3時間も、私達はそのまま電話でおしゃべりを続けてしまいました。彼のお母さんは、ついに私を家に呼びなさいと言いました。
私は、彼の家からほんの5分くらい離れた公衆電話に立ち続けて電話をしていたからでした。
じゅういち ねんせい の とき、ボーイフレンド と こうさい を はじめる まえ の ことです。かれ を えいが に さそおう と、えいがかん の ちかく に ある こうしゅうでんわ から でんわ を しました。
かれ は バスケットボール の しあい から かえった ところ だったので くること が できませんでした。かれ は シャワー をあびなければ なりませんでしたし、じゅんび を している うちに えいが は はじまって しまうから でした。
ところが、それから さん じかん も、わたしたち は そのまま でんわ で おしゃべり を つづけて しまいました。かれ の おかあさん は、ついに わたし を いえ に よびなさい と いいました。
わたし は、かれ の いえ から ほんの ごふん くらい はなれたこうしゅうでんわ に たちつづけて でんわ を していた からでした。
AllisonChang 0 Comments : 2002-09-23 at 11:26 AM
オカリナの丘で……

子どもの頃、NHK高知児童合唱団で歌っていた。毎週土曜日の夕方には、テレビ局のスタジオでのリハーサルがあり、地元のテレビやラジオで放送されていた。
ちょうど東京オリンピック(1964年)が開催された時にカラーテレビが放送されるようになり、私たちは練習の休憩時間に、スタジオのカラーテレビで開会式を見た。画面の色が少しぶれてにじんでいたが、赤や白の鮮やかな色は何か希望の始まりのように感じられた。
私たち児童合唱団ではいろいろな歌を歌った。そして「NHK」と印刷されたバインダーに、歌の楽譜は増えていった。
NHKの「みんなのうた」という歌の番組も私は欠かさず見ていた。中でも「丘にのぼって~~~吹こうよオカーリナ~~~」という歌が好きだった。
紅く染まる丘の上で、私はひとり夕陽に向かってオカリナを吹いてみたかった。しかし家の近くの高知城にある「すべり山」ではどうもイメージがピッタリとこなかった。オカリナも持っていなかった。
「すべり山」はこんもり丸く丘になっていて草がはえていた。私たち子どもは、上から自転車でスピードを出して走り降りたり、おしりにダンボールをひいて草の上を滑ったりして遊んだ。ブランコやすべり台もあった。私はそこで夕暮れまで友だちと遊んだ。
そして、夕陽が次第に傾くにつれて、子どもらはひとりふたりと家に帰っていくのだった。ブランコやすべり台や低い草々は街灯に照らされて、くっきりと淋しく浮かび上がっていった。
そんな時にいつも私の心に「丘にのぼって~~~吹こうよオカーリナ~~~」という歌が聞こえてくるのだったが、「でも、すべり山はちょっとこの歌とイメージがちがうなあ」と思っていた。そして、すっかり暗くなってこの丘にひとりぼっちにならないうちにと、急いで自転車をこいで家に帰って行くのだった。
それから何十年。「この歌にふさわしい丘にいつか出会うかもしれない」ということを、私の記憶は忘れていなかった。
ホノルルの町が一望できる美しい「タンタラスの丘」の上にある服飾デザイナーのジェインさんの家を訪問した時、突然、「丘にのぼって~~~吹こうよオカーリナ~~~」のメロディーが心に聞こえてきたのだった。
その日、ダイヤモンドヘッドから、パールハーバーのずうーっと向こうの方まで見えるこの家の広い庭で、お茶を飲みながら午後の時間を過ごしていた。
ジェインさんとは、私がハワイに来てからすぐに知り合ったので、もう10年来のおつきあいになる。ジェインさんの80年余の人生からは、品格とともに、美しいものを創造し続けている内面に新鮮さを感じて、私は心ひかれている。
ーーーーハワイ時間12月7日にパールハーバーが襲撃され、日米戦争が始まり、欧州に加えて世界中が戦争になった。ダイヤモンドヘッドの方から飛行機がどんどん飛んできた。そして戒厳令が敷かれた。
ジェインさんたちは12月21日に結婚式を挙げる準備をしていたのだが、急遽予定を変更。真珠湾の翌日に結婚ライセンスを取りに行った。そして1週間後の12月14日に結婚式を挙げた。短い式を終えると牧師さんはソソクサと帰り、新郎新婦も帰って行った。
戦後になって、ジェインさん夫妻が50年前に何もなかったタンタラスの丘の上に初めて家を建築することになった時は、まだ道も電気も引かれていなかったので、ホノルル市が急遽、道を作り電柱を建てたという。ーーーー
今、ワイキキの海にはヨットが銀色に光り、細長く立ち並ぶビルの上空にはダイヤモンドヘッドの方に飛んでいく飛行機が見える。小さく見えるその飛行機は、まるで雲の上から糸で吊されているように、ゆっくりと動き、エンジン音が天空に鈍く響く。
そんな全ての情景を視野にしながらジェインさんと語らっているうちに、世の中がどんなに激動し、どのように移りかわろうとも、美しいものを創造し続けようとしてきたジェインさんの存在そのものが、実は本当に美しいのだと私は思った。
タンタラスの丘は次第に夕暮れに包まれた。…………「丘にのぼって~~~吹こうよオカーリナ~~~」。心の隅々に、歌詞とメロディーが広がっていった。
(毎日新聞USA連載)
Dolce 0 Comments : 2002-09-22 at 2:32 PM
■2002/09/22 (日)
帰りは来た道を戻り、生口島で平山郁夫美術館へいく。
生口島が生まれのようで、結構きれいで立派な美術館だった。
その後近くの「すいぐん丸」というところで昼飯。ここの
「すいぐん飯」1200円が名物だということで食す。
サフランライスのように黄色がかったご飯に海の幸がのる。
このご飯はあさりやいろいろな魚のエキスがたっぷり入っているそうで
微妙ながら複雑な味。おいしかった。けど、1200円では高いかも。
800円ならOK。
食った後はフェリーで三原まで乗り、母親を駅までおくって終了!
天気は良かったけど、景色が霞んでいたのが残念だった。。
TatsuruArimura 0 Comments : 2002-09-22 at 1:26 PM
■2002/09/21 (土)
のろけもそこそこに、今日マザーが三原へ。
そしてしまなみを通って、道後温泉に行きたいと申された。
急遽レンタカーと宿を確保し、いざ出発。
自転車だと12時間かかったしまなみ街道も車でのろのろいっても
わずか3時間半。あっけないねぇー。しかも伯方島や大三島では
能率が悪いので車では島に降りられない。。この2つが結構いいのに。
今治に渡り、海沿いの国道197号で伊予北条を経由し、松山へ。
4月のチャリ以来であったが、特に変わったところはなし。
きのうのあの出来事の翌日なので、寝不足のため、旅館について
飯を食って、道後本館の温泉に入り、爆睡。。
しかし泊まった「浪〇屋」という旅館。。あまりお薦めしません。
3連休の初日なのに、前日に予約して空いていたのもうなずける。。
TatsuruArimura 0 Comments : 2002-09-21 at 1:23 PM